こんにちは 倉元です。
まもなくスポーツの祭典ロンドンオリンピック・パラリンピックが開催されますが、今回はそれと全く関係ない話です。
今年で戦後67年経ちますが、終戦直後に連合国軍に接収された第一生命館が接収解除と返還から60年の節目を迎える今年、第一生命保険創立110周年記念特別企画として、現在非公開となっているマッカーサー記念室を期間限定で一般公開されるというので、最終日の22日に飛んで見に行きました。
朝の10時30分からとの事でしたが、渡されたのが12時50分からの整理券でした。
時間があるので、国会議事堂の衆議院の見学へと直行。
2年前に参議院を見学しましたので衆参両方見学したことになります。
議場は衆参とも似たようなものですが、非常に立派な建物で荘厳ささえも感じます。
国会は国の最高機関であり、ここで法律が制定されたり、国の予算が議決されたりしているわけです。
本来厳粛に審議されるべき議場ですが、ここで牛歩戦術やら、居眠り、卑劣な野次、とぼけた答弁が繰り広げられているのです。
何やら怒りを通り越して虚しささえ感じます。
さあ、12時50分まであと僅か。
もやもやした気持ちを持ちながらマッカーサーの執務室へ・・・
僅か16坪の部屋で現在の日本国憲法の原型であるGHQ 草案が作られ、戦後の日本をかたちづくるさまざまな舞台となったのです。
マッカーサー元帥はクリスマスも誕生日もお構いなく、まして日本の観光名所を訪れることも無くひたすらよく仕事をしていたそうです。
そして、机には引き出しがありません。
マッカーサーは大変几帳面で、何事も即断即決するためにその机を愛用していたそうです。
国会議事堂 と マッカーサー執務室かぁ・・・何百人もいる国会議員、ころころ変わる総理大臣 と マッカーサーかぁ・・・牛歩戦術、居眠り、野次 と 即断即決かぁ・・・
益々もやもやした気持ちになりました。
このもやもや感を解消すべく地下鉄に飛び乗るのでした。
この続きは次回。
さあ日本の選手団達、このもやもや感、この暑さを吹き飛ばすため、メダル獲得に向けて頑張って下さい!
私たちもしっかりと応援しましょう!
PS.第一生命の創立者は矢野恒太という人で、現在の岡山市東区竹原の出身です。
日本アクチャリー会の創立にも尽力されたそうです。
また一人岡山に立派な人がいたことに驚きました。
資料展示室には設立当時の第1号の証券、申込書・報状等が展示されていて非常に興味深いものでした。
興味のある方は第一生命のHPで会社情報⇒第一生命の歩みをご覧下さい。